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大人でもたまには隠れたいものだ

時には息が詰まるもの

人間生きているとどうしても一人になりたいときがある、それは何をしているときにおいてもだ。不意に誰とも話したくない時間を作りたいと思うものだ、恐らくそれは人としての本能に近いところだろう。筆者は基本的にそこまで群れるのを積極的に好まない人間なので一人を好んでいるが、中にはもう誰かが側にいないと生活する事が出来ないという人もいるかもしれない。それはそれで個性というものだが、どんな人でも24時間という時間を通してみればどこかで誰もいない孤独を経験しているものだ。まして誰かと常に誰かが側にいる、それも1年通して1秒たりとも離れないなどとしたら、どれだけ重い人間なんだろうかと敬遠されるのは間違いない。そもそもそんなことを他人に望んでいる時点で愛想が尽かされるのは目に見えている、しかし中には本当にそういう事を望んでいる人がいるため、性質が悪い。いつまでも自分の側においておきたいとばかりに独占欲を働かせてしまい、結局世間的に犯罪行動と呼ばれる狂気の沙汰の行動を起こす人がいるので、それはそれで問題だ。

一部のちょっと変わった人々の考え方は良いとしてもだ、総体的な面で考えると誰でも一人にならないと時には息が詰まるものだ。誰にも邪魔されず自分の事を考えたい、そう思っている人は多い。特にこの時代においてはまさしくそうした自問自答をしなければならない時間は沢山ある、そうした中で他人と過ごす時間ももちろん大事だが、最終的に自分で決めなければならないときはいつも一人だということを忘れてはいけない。誰かの側にいたいと思っても、どこかで必ず人は一人になりたいと本能的に思う。

そこまでは良い、ただ一人になりたいと思っている時に限って心配りというおせっかいを掛けられてしまうなんて経験、したことはないだろうか。筆者の経験だが、あまり群れることをそこまで重要視していない性格の為か、高校生ぐらいになると他人と何処までも合わせなければならない窮屈さに辟易してしまったこともある。そんな時に限って何かと絡んでくる友人がいたのだが、その彼とは何度となく衝突して喧嘩をしたものだ。周りの友人も感情の起伏が激しい筆者をどのように扱えばいいのか分からず、いつしか適度に距離感を置かれたがさほど気にすることもなく、むしろ自由な時間が取れたことで少しだけ安心したほどだ。

こればっかりは個性だというしかない、ただ学校という社会の縮図においてどうしても他人と合わせなければ仲間外れにされてしまう、そんな気概が根付いている。そうなるといじめなどの問題に繋がるわけだが、そうなると色々と問題が出てくるが今はそうではない。

最近、こうした一人、または隠れ家的なといったようなテーマを題材にした飲食店を始めとした産業が増えていることをご存知だろうか。それが実は団体行動を良しとしても、一人でゆっくりとしたいと願っている人が多くなっている現代の社会的な背景を思わせるような事実に繋がっていると筆者は分析しているので、少し考察してみようと思う。

お一人様、大歓迎

最近良く聞くようになったが、『お一人様』という言葉に対してどうしても気後れしてしまう人もいるのではないか。特にファミリーレストランを始めとした飲食店、カラオケや遊園地といったところで一人で来ると、周囲の人々は友達のいない残念な人と見なす傾向がある。悲しいがこれは事実として受け止めるとしてもだ、カラオケや遊園地はともかくとしてどうして飲食店を一人で利用する事がダメなのかが不思議だ。中にはファミリーレストランに一人で入店することは出来ないという人もいる。ではそういう人達はカフェにも一人では入れないのだろうかと問いたい。恐らく否というに違いない、何が違うというのだろうか。そもそもそこまでしてまで団体で行動していなければならないのかと問いたいところだ、友人といれば確かに楽しいのは認めるとしても時には一人で行動することも必要だ。

こうした中で最近の外食産業には面白い傾向が目立ち始めている、それは一人で利用することが出来る飲食店が出来ているということだ。その代表的な例として、

といった物がある。焼肉に鍋、そして中華料理にしてもどちらかといえば複数人で食べているイメージが強い料理だ。特に焼肉と鍋といえばどんなに頑張っても自宅で一人で食べるのが限界という人もいるだろう。しかし最近ではそうした一人で気兼ねなく食べることが出来る飲食店が出来ており、そのニーズを確かに増やしている。またそうしたお店は東京都を中心に増えているというのだから、需要としてはそれだけ見込めるだけ存在している事を意味している。

一人で食べられるとはいっても、中には単純に一人暮らしで料理をするのは今日はどうしても億劫で仕方がない、でも焼肉とか鍋が今日はどうしても食べたいという食欲を満たしたい人には最適だ。そういう意味では物凄い便利になってきている、というよりかはもはや商売として何でもアイディア勝負でやったもん勝ちなのでは、といったような印象を受けてしまうのだが成立している事を考えたらもはやいうべきことはないだろう。

隠れ家というのも好まれている

また何かと最近耳にする飲食店のフレーズとしては『隠れ家』というのも何だか多いように思える。そこへ『大人の』というようなものが付けば、もはや夜の時間はひっそりと優雅にダンディズム、または女子力満点な雅な女性としての時間を送りたいと、そんな事を考えている人が訪れるお店も多くなっている。ただこうした飲食店の中にはまさしく誰でも気軽に訪れることが出来るわけではなく、紹介などを含めた一見お断りというお店もある。そうなるとまさしく知る人ぞ知る隠れ家というフレーズはあながち間違ってはいない。

ただどうして隠れ家なのかというのは気になるところだ、この言葉だけでどうしてこんなにも興味関心が惹かれるのかと考えたとき、頭をよぎるのが『自分だけ』というモノではないだろうか。人として生きている限り、どうしても他人との接触なくして生活をこなして行くことは出来ない。社会から隔離されての生活をして自分だけの世界を構築していくだなんて事はまず不可能だ、そうなるとこの世界から逸脱した人間として生きていかなければならない、つまりは人間としての終焉を迎えることで初めて完成される。

生き死にに関係する話となったらそういうことを求めているわけではなく、多くは知られていないけれど自分だけのお気に入りというものに人は非常に弱い。こだわりとも言うべきか、何をするにしても人は自分だけの、または親しい間柄だけの、といったような限定的なものに非常に弱いとした設定がなされている。これは恐らく神様が人間を創造する時に本能に近いところで作り出した感情なのでは、みたいなことを思ったりする。

人は何をするにしても誰にも知られないようにする、または一人になることを時に喜んでするものだと筆者は考えている。これは『秘密』であり、そして秘密を秘密のままとする『秘密主義者』という存在に対して強い羨望を持つことがあるからだと考えている。

飲食店でうるさいのを好むか、静かな場を好むか

この秘密というものに対しての個人の考え方によって、その意識は左右されることになる。そしてそれは飲食店をどのように利用しているのかという点でも大きく左右するといえる。筆者が飲食店業で接客をしている、もしくは自身が利用するときとの状況を考えてみると、大半の人が出来るのであれば『他人が側にいないことを望んでいる』と見ている。よほど混雑しあっているのであれば妥協しなければならないにしてもだ、空いているときなどは隣に人が利用していない空間を特に好んでいるものだ。そもそもがら空きなのに側に誰かがいるような席に案内されたら不満を持つのが先かもしれないが、それは別にしても、隔離されている感覚を本能的に求めていると見ている。

人によっては窮屈だと感じるだからという理由もあるかもしれない、でもそれは事実として側に他人がいる事を望んでいないということになる。友人と来たとしても、一人で来たとしてもだ。そんな感情を助長させるために最近の飲食店でも、『お一人様歓迎』・『隠れ家的ダイニング』などといった言葉が蔓延しているのかもしれない。閉鎖的な環境を求めているのであれば別なところでもと思うが、公然とした場で隔離されているところが良いと言う人もいる。一時でも、もしくは長期的にという考え方によってそれは非常に異なってくる。人間のこうしたところは本当に面白いと思う、誰かが側にいて欲しいと強欲に思うくせに、時に側にいないで欲しいと思っているのだから贅沢な生き物だ。

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